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December 4, 2025

Diary 2025/12/04

引っ越し。ふるさとを訪ねて。

引っ越しについて

来月、新しい家に転居する。この機会にこれまでに住んだ家を思い出して整理しておきたい。

これまでの家。つぎの家。

  1. 柏(千葉), 0 歳

    母親の実家

  2. 多治見(岐阜), 0 歳-入園前?

  3. 伊勢原(神奈川), 本田記念幼稚園年少

  4. 横浜(神奈川), 荏田南幼稚園年中-荏田南小学校 2 年?

  5. 横浜(神奈川), つづきの丘小学校 3 年?-つづきの丘小学校 5 年?

    一軒家の右半分。遊びに来た友達が狭すぎて泣いていた

  6. 横浜(神奈川), つづきの丘小学校 5 年?-栄光学園高等学校 3 年

    今の親の家

  7. 久我山(東京), 大学 1 年-休学期間 (2018/04-2020/01)

    初めての一人暮らし。偶然向かいの家に高校同期が住んでいた。よくみんなで鍋を食べた。

  8. 板橋本町(東京), 休学期間-大学 2 年(2 回目)(2020/01-2022/02?)

    友人とシェアハウス未遂。結局コロナで一人暮らしに。

  9. 横浜(神奈川), 大学 2 年(2 回目)-大学院 1 年 (2022/03?-2024/06)

    親戚の家に居候

  10. 中板橋(東京), 大学院 1 年 (2024/06-2024/11)

    シェアハウス。20 人くらいが二段ベッドで寝泊まりしていた

  11. 湯島(東京), 大学院 1 年 (2024/12-2025/02)

    シェアハウス

  12. 根津(東京), 大学院 1 年-休学期間 (2025/02-2026/01)

    シェアハウス。今の家。大学まで徒歩 1 分。

  13. ???, 休学期間- (2026/01-)

    一人暮らし。千代田線・常磐線沿いで静かな所が良い。

引っ越したくなる理由

大学入学までの引っ越しは父親の転勤など家の事情によるものだったけれど、入学以降は自分で進んで引っ越しを繰り返している。どうしてこんなに頻繁に引っ越したくなるのだろう。

消極か積極か

これまでの転居の理由を思い出してみよう

  • 久我山 → 板橋本町 学年が上がり、大学のキャンパスが駒場から本郷に移ったため。
  • 板橋本町 → 横浜 お金がなくなったため。祖父が亡くなって祖母と親戚が新しく家を買い、ただで居候させてもらえることに。
  • 横浜 → 中板橋 居候の居心地が悪かったため。
  • 中板橋 → 湯島 夜うるさくて眠れなかったため。
  • 湯島 → 根津 夜うるさくて眠れなかったため。
  • 根津 →??? 静かに一人で暮らしたかったため。

端的に言って、誰かと同じ家に住むのが苦手なのかもしれない、、

ただ、こう書くとどの家も気に入らなかったみたいだけれど、どの家もそれなりに楽しく暮らしていた時があったことも付言しておきたい。 いつでも引っ越しの準備は嬉々として取り掛かっていたし、新しい生活を想像するのはわくわくして楽しかった。そもそも私は引っ越しをするのが好きなのだ。上に挙げたのも確かにきっかけだったけれど、引っ越したくて後づけした口実のようにも思える。光熱費の契約や家具・家電が不要なシェアハウスに連続して転居しているのも、すぐに次の家に移れるようにするためでもあったのかもしれない。

定住よりもむしろ遊動

そもそも毎年のように引っ越すのは頻繁すぎるのだろうか。引っ越したいと思うのはむしろ自然な感情ではないだろうか。 國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』で西田正規の提唱する定住革命が紹介されていたが、それによれば人類数百万年の歴史の中で定住生活が始まったのはたった一万年前だという。そして今でも「人類の肉体的・心理的・社会的能力や行動様式は、むしろ遊動生活にこそ適している1」とも考えられる。

だとすれば、私はその本能に人より少し従順なだけなのだろうか。

ふるさとを訪ねて

何度も転居するのは人間の普遍的な性質によるものだ、という考えはこれまでの転居歴を正当化するのに都合の良いものだけれど、自分にはどうにもそれが健全な行動様式だとは思われない。

この前また太宰治の『斜陽』を始めから読み直していたけれど、戦争が終わって没落していく中でかず子と「お母さま」が東京の西片町の家から伊豆の山荘に引っ越さなくてはいけなくなったとき、「お母さま」があまりに憔悴してぐったりとしているのにちょっとびっくりした。自分は転居と言えばまるで遠足に行くかのような楽しい感じがするし、記憶している限りでは前の家を懐かしんで名残惜しく思ったこともなかったからだ。 いよいよ翌日に引っ越すという日の夜、「お母さま」はかず子に「死んだほうがよいのです。お父さまの亡くなったこの家で、お母さまも、死んでしまいたいのよ2」と弱音を漏らしてしまう。西片町の家に少しでも長く居たいと思うのは、長くそこに暮らしていたからというだけでなく、そこに「お父さま」の記憶があるからだろう。

記憶といえば、私には昔の思い出というものが人よりも少ないように思う。高校の同期と当時の思い出話をしていても、そんなことあったっけ、と思うことがよくある。昔を思い出そうとしても何もなかったような気がする。記憶は頭の中にあるというのは本当だろうか。記憶は頭の外、それが起きた場所にいつまでもとどまっていて、時間だけでなく物理的な距離でも忘却されるものではないかしら。私は色んなところに移り住むたびに、かつての記憶を置いていってしまっているのではないだろうか。

さっきは訳知り顔で人間は遊動する生き物だとか、自分は転居が好きでしているとか言ってみたけれど、逃げるように実家から出て以来ずっと、自分の故郷といえる場所を探しているだけなのかもしれない。

Footnotes

  1. 國分功一郎. 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)(p. 71).

  2. 太宰治. 斜陽